横浜商―PL学園(83年決勝)

2.jpg

横浜商(神奈川) 000 000 000|0
PL学園(大阪) 010 000 11×|3

■パワーと好守 PLの夏

 第六十五回全国高校選手権記念大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)の最終日は二十一日、はや秋雲の浮かぶ阪神甲子園球場に超満員の五万八千人の大観衆を集め、横浜商(神奈川)―PL学園(大阪)の東西の強豪で決勝が行われ、PL学園がパワーあふれる打撃で横浜商を下し、第六十回大会に続き、五年ぶり二度目の優勝を果たした。

 試合は、横浜商・三浦、PL学園の一年生投手・桑田の投げ合いで幕を開けた。PL学園は二回、一年生の四番・清原が右超え本塁打で先制。七回には二塁打の小島を藤本が遊撃不規則バウンドの安打でかえし、八回にも加藤の本塁打で勝利を動かぬものとした。横浜商は序盤の再三の逸機が響き、七回途中から救援の藤本にも抑えられ完封負けを喫した。PL学園のチーム本塁打8は、昨年優勝の池田(徳島)の7本を抜く大会新。

 閉会式では、深紅の大優勝旗をしっかり掲げ持ったPL学園・朝山憲重主将を先頭に両校選手が場内を一周、PL学園とともに、準優勝の横浜商にもスタンドから惜しみない拍手が送られた。

■先制・とどめ強烈2発 意表つく完封リレー

 ◎…横浜商の三浦が打ち気を読んで巧みに打たせれば、PL学園の桑田は一年生らしからぬ落ち着きで低めをつき、試合は淡々と進んだ。他の選手も随所に好打、好守をみせて両投手をもり立て、見ごたえのある一戦となったが、効果的な2本塁打を放ったPL学園が看板の打力で勝利をものにした。

 しかし、PL学園は立ち上がり苦しかった。一回は安打で出た信賀に二、三盗を決められて一死三塁、二、三回には先頭打者に安打された。桑田は決勝とあってか慎重になりすぎて、肝心の勝負球にいまひとつ力がなかった。普通なら、いきなりかきまわされれば動揺するものだ。それなのに桑田はそんなそぶりもみせず、クリーンアップをうち取った。度胸のよさ、集中力、そして自信たっぷりの投球は、とても一年生とは思えない。このふんばりが、最終的にはPLに勝利をもたらした。

 先手はPLが取った。二回のピンチを切り抜けたその裏、先頭の清原が右へ打ち込んだ。2―2からの一投は、外角寄り高めにきた変化球。清原は右わきを締め、押し出すように振り抜いた。うまさと力がかみ合った見事な一打だった。

 この1点で中盤はPLが攻め、横浜商が守る展開になったが、七回に明暗を分ける一打が生まれた。PLが小島の二塁打などで二死二塁とした。住田四球のあと、藤本は遊ゴロ。これがイレギュラーして小島が生還。横浜商としては住田との勝負を避け、藤本も計算通りにうち取ったはずだった。不運とはいえ、誠に痛い失点だった。

 横浜商にとって惜しまれるのはやはり前半の拙攻だ。一回の一死三塁は高井が力んでカーブで三振、二回は一死二塁で中村が投手けん制に刺された。また三回は手堅く送ったが、後続がボールを打ってしまった。焦りは感じられなかったが、これまでの横浜商と比べると、いまひとつどっしりした攻撃が出来ていなかった。この序盤を生かしていれば、ペースにも乗れたし、もっともつれた競り合いになったろう。

■苦境にケロリ 一年生したたか

 「走者が出てからは、打たれる気がしなかった」。PL学園の一年生投手・桑田は優勝の決まった直後に、ちょっと奇妙なことばを口にした。顔つきは、けろりとしている。どうやら、興奮による勘違いではなさそう。胸のうちを聞いてみると、こうだった。

 先頭打者には、打たれそうな気もしていた、という。が、走者がいると、「二塁や三塁で封殺できる。だから、内野ゴロを打たせることだけを考えればよかった」と、桑田は話した。遊撃手の朝山主将ら守備陣への信頼感があればこそだが、それだけでは説明になるまい。

 事実、一回は一死から安打した信賀に、すぐさま二、三盗された。二、三回には、安打の先頭打者がバントで二進、五回には一死から四球を選んだ走者がやはりバントで二塁へ進んでいる。桑田のいうような封殺の場面は、見当たらないのだ。

 むしろ、ここは、桑田が「自分を落ち着かせるためにかけた自己暗示」と考えた方が自然だ。マウンド上で、心を「低め球で内野ゴロ」に集中させる。決して迷わない。走者を出すことが、投手にとって「苦境」なのは当然だが、それを逆手にとるしたたかさを、十五歳四カ月のこの少年は持ちあわせていた、ということだろう。七回途中から先輩・藤本の助けを借りたとはいえ、一年生の優勝投手誕生は戦後初めての快挙だ。三連投とあって、調子は必ずしもよくなかった、というが、思い切りのいい投球は相変わらずだった。

 さらに桑田は「試合前、横浜商の打撃練習を見たとき、迫力を全く感じなかった。第一、池田の選手とは体つきが違う」ともいっている。池田打線を完封した自信が、伸び盛りの少年をいっそうたくましくしていた、といってよさそうだ。

 その桑田をリードした三年生の小島は、大阪大会で一度代打出場があるだけ。甲子園へ来て正捕手が故障したため、公式戦で初めて桑田とコンビを組んだ。が、この背番号「12」は、この日も七回、追加点機をつくる二塁打と活躍、「11」の桑田をもり立てた。試合のあと、応援席へあいさつに走る途中、小島が桑田に駆け寄った。「よくやったぞ」「ハイッ」。長年、バッテリーを組んだ同士のような、えもいわれぬ「呼吸」があった。
| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。