PL学園―桜美林(76年決勝)

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PL学園―桜美林/桜美林初優勝の瞬間。ナインたちは歓声をあげて松本投手を肩車した。そのそばをベンチに帰るPLの古沢一塁手が通り過ぎる



PL学園(大阪) 000 300 000 00|3

桜美林(西東京) 100 000 200 01|4

■はつらつ桜美林、無欲の快挙 三年連続、関東に大優勝旗

 深紅の大優勝旗は、初出場の桜美林が獲得し、六十年ぶりに東京へ舞い戻った――。第五十八回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)の最終日は、二十一日午後一時からPL学園(大阪)―桜美林(西東京)の決勝戦が五万六千人の大観衆を集めた阪神甲子園球場で行われ、桜美林が延長十一回サヨナラ勝ちし、初出場で全国制覇を達成した。

 初出場校が優勝したのは、第五十三回大会(四十六年)の桐蔭学園(神奈川)以来五年ぶり、大会史上通算十三度目。東京勢の優勝は、大正五年の第二回大会の慶応普通部(現慶応高)以来、実に六十年ぶり、通算二度目である。また銚子商、習志野(ともに千葉)に続いて、三年連続して関東勢が大優勝旗を持ち帰ったのは、大会史上初めてのこと。

 試合は桜美林が一回、1点を先取すると、PL学園が四回に水谷の二塁打などで3点をあげて逆転した。しかし、粘る桜美林は七回、安田の二塁打で3―3と追いつき、第五十一回大会の松山商―三沢戦以来、七年ぶり七度目の延長にもつれ込んだ。桜美林は十一回無死から本田が中前安打し、続く菊池の左越え二塁打で本田を迎え入れ、劇的な幕切れとなった。なお、決勝戦でのサヨナラ勝ちは、昨年の第五十七回大会の習志野―新居浜商に続き、通算六度目である。

 試合終了後、閉会式が行われ、優勝した桜美林の片桐幸宏主将に広岡大会会長から大優勝旗が手渡され、準優勝のPL学園には準優勝盾が贈られ、最後に両校ナインが場内を一周して式を終え、十三日間にわたる熱戦の幕を閉じた。

■死闘11回 逆転サヨナラ 粘りのPLも力つきる

 一戦一戦を無欲で戦った両校の決勝進出。この両チームの対決をだれが予想したろうか。よく似た両チームは最後の一戦、力をふりしぼって激突した。初陣桜美林の幸先よい先制も、四回PL学園が逆転、七回には桜美林が反撃して同点にするなど、決勝戦にふさわしい好試合となって延長戦となったが、初陣の桜美林は十一回、ついに菊池の殊勲打で、食い下がるPL学園を振り切った。

 桜美林一回の攻撃はすばらしかった。連投中村の立ち上がりを、一死、安田が右前安打して口火を切り、二死二塁のあと、片桐が三遊間を抜いて先取した。これに対しPL学園は上手からダイナミックな投球をみせる桜美林の主戦・松本に三回まで1安打に封じられていたが、四回、先頭の山本が右前に巧打、バントで二進、黒石の右中間安打で同点とし、続く水谷の左越え二塁打で黒石もかえり、さらに永田の二塁正面ゴロを野手が後逸する間に、水谷も本塁をつき3―1と逆転した。

 桜美林はこの2点差を追って、必死に中村に迫った。七回代打の菊池が左に二塁打、一死後、村田の二塁内野安打で一、三塁と中村を攻めつけ、安田が0―1から好スイングを見せて、左に二塁打、同点とした。

 七回の同点で元気の出た桜美林は八回、松本、小野寺が連安打しバントで二、三進。打者菊池1―2のときスクイズ。だが、PL学園のバッテリーはこれをうまくウエストして、松本を三本間できょう殺した。手堅くとどめの1点をとろうとする桜美林の作戦はうなずけないことはないが、七回に好打している菊池を思えば、強気に出てもと思われた。桜美林にとっては不運というほかない。

 さらに九回にも中田が無死で二塁打しながら、走者の判断悪く、せっかくの好機を失ってしまった。桜美林の攻撃に、ややあせりがあったのだろうが、これを冷静に食い止めたPL学園の好守をほめなくてはなるまい。

 PL学園は十回、四球、安打などで二死満塁とつめよったが、永田の二ゴロで絶好機を逃した。チャンスを逃し、ピンチを切り抜ける両チームの攻防は、波乱をはらみつつ回をさらに重ねるかと思われたが、十一回に桜美林は疲労の色濃い中村を攻めた。

 本田中前安打のあと、菊池は高めの球に鋭いスイングを見せた。打球は風に乗って左翼ラッキーゾーンの網に当たり、背走をつづけた左翼手は網に激突。一瞬球を見失う間に本田が決勝のホームを踏んだ。あっけない一打で決勝の幕は下りた。PL学園もよくやった。惜敗の悔いはあろうが、ここまで戦えば思い残すことはあるまい。

 桜美林には、これというスター選手はいなかったが、そのチームワークのよさが力となって栄冠をかちとったといえる。(好村)

■ワキ役菊池が殊勲打 桜美林の強攻策ピタリ

 三塁ベースを回った小柄な本田のメガネが、西日にキラッと光った。精いっぱいストライドをのばし、本塁ベースの四、五メートルも前から猛烈なヘッドスライディング。永野主審の右手が横に伸ばされ「セーフ」とコールされたとき、二塁ベースにまで達していた打者菊池が、バンザイをして突進し歓喜のかたまりの中に消えた。

 それはPL学園・中村投手が力を振りしぼって投じた一三八球目だった。十一回、本田の中前安打でつかんだ無死一塁。つづく菊池への初球に、桜美林ベンチはバントのサインを出した。が、外角へのボール。「PLのバントシフトが堅い。よし、思い切って打たせよう」。浜田監督の強攻策に切り替えたこの判断が、勝利への貴重な足がかりでもあった。

 二球目、内角高めへのストレート。菊池は七回初めて代打で登場したときも、内角速球を左越え二塁打を放っている。「ほんとうは外角を右へ流すのが得意。でも、七回にニガ手の内角球が打てたから、こんどもマトを内角にしぼっていた」。こん身の力でたたいた打球は、左翼へグングンのびた。

 「打球があがったときは捕れたと思った」と左翼手の羽瀬。が、このとき、中堅から左翼へ強い風が吹いていた。一、二度振り向きバックバック。羽瀬がフェンスに体をぶつけたとき、打球はその金網に当たっていた。羽瀬は転倒したため、はね返った打球が見えない。さがすスキに「最初から抜けると思って」好スタートを切った一塁走者の本田がダイヤモンドを疾走していた。

 菊池太陽、その名の通り真夏の甲子園にふさわしいラッキーボーイだった。「背番号7」をつけているものの、西東京大会から先発メンバーは一度もない。わずかに代打出場が三度。だが、それが2死球とバント安打と成功率十割である。この大会では市神港戦で守備に一度はいっただけだった。八番の正中堅手古本が12打数無安打と、あまりにも不振のために、身代わりとなった。

 といって菊池のこれまでの野球人生は、決して幸運につつまれてはいなかった。立川市のリトル・リーグで活躍し、桜美林に入学したときは将来の四番候補だった。しかし、二年生の冬に脊椎(せきつい)の分離症におかされた。「野球をやめろ」という医師もいた。断念しかかったが「レギュラーになれなくても志した道は最後まで歩もう。」

 チームにとどまった彼のポジションは一塁コーチだった。「きょうもベンチに座っているとき、背中がちょっと痛くなっていた。でも、いまは全然平気です」と深紅の大優勝旗のそばで笑った顔がさわやかだった。

 強引すぎる攻めもあった。投手松本も疲れで精彩を欠いていた。が、土壇場でワキ役が大殊勲を立てた桜美林の優勝。甲子園入りしたときに「ウチはいままでの東京らしい都会チームとは違います。スターもいないし、洗練されたプレーなんてなにひとつできない。十四人が、いや、一年生までの部員全員がやるべきことを、確実にやってきただけのチームです」と話した佐藤部長の言葉にふさわしいフィナーレだった。
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