横浜―PL学園(98年準々決勝)

9.1
横浜―PL学園で力投した松坂大輔投手

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横浜―PL学園 17回表横浜2死一塁、常盤に右中間本塁打を打たれ、マウンドにひざをつき打球の行方を追う投手上重


横浜(東神奈川)  000 220 010 010 000 12|9

PL学園(南大阪) 030 100 100 010 000 10|7

(延長17回)

 ■横浜17回、一丸の底力 横浜9−7PL学園 第80回全国高校野球

 三一・二度。うだるような猛暑の中で繰り広げられた熱戦に、六万五千人の観衆が酔った。第八十回全国高校野球選手権記念大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)は二十日、準々決勝4試合があり、うち2試合が延長戦となった。延長十七回、ゲームセットまで三時間三十七分。リードしてもすぐに追いつかれる緊迫した好ゲームだった横浜―PL学園戦は、横浜が2点本塁打で振り切った。豊田大谷は、延長十回に劇的なサヨナラで、浜田を下した。第4試合は、開始が午後六時前となり今大会初の本格的なナイターに。今大会の入場者は、開幕以来八十万人となった。

 第1試合の横浜―PL学園は「東西の横綱」という前評判通り、力と力をぶつけ合った。第2試合は明徳義塾が関大一に圧勝。第3試合は、松江中以来、島根勢として七十五年ぶりの準決勝進出をねらう浜田が九回二死から同点に追いついたものの、豊田大谷の前に力尽きた。第4試合が始まると間もなく照明灯がともった。最後のベスト4の座をかけて京都成章、常総学院の選手たちがカクテル光線に浮かび上がったグラウンドで球を追い、京都成章が四強入りを果たした。終了時間は午後八時十二分。スタンドの興奮も、終日、冷めることがなかった。

 ■8時12分に全試合終了

 二十日の第4試合が終了したのは午後八時十二分。これは、大会史上四番目に遅い終了時間となった。過去、最も遅かったのは第五十回大会(一九六八年)の第一日で、第4試合の津久見―高岡商が終わったのは午後九時二十七分。二十日は、これまで四番目だった第六十一回大会(七九年)第九日の箕島―星稜の延長十八回(終了時間は午後七時五十六分)より十六分遅かった。

■3時間37分、一振りが決めた 松坂の250球支える

 もう、ガッツポーズをする気力さえ、残っていなかった。延長十七回、田中雅をカーブで三振に仕留めた横浜の松坂は、両腕をだらりと下げて、下を向いた。250球。「野球人生で一番苦しい試合でした」

 その言葉に、わずかな誇張も含まれてはいない。

 PL学園のすさまじい粘りだった。十一回。1点を勝ち越したら、追いつかれる。十三、十四、十五回は得点圏に走者を送りながら、上重にかわされた。十六回には、再び1点を勝ち越したが、また振り出しに戻されてしまう。

 「いい加減にしてくれ」。松坂の心の叫びだ。

 なえそうになる気持ちを奮いたてることができたのは、仲間たちがかけてくる言葉だった。「いつか、必ず点を取ってやる。抑えることに集中しろ」。捕手の小山が言い続けた。十七回の攻撃に入る時、常盤が「絶対勝つからな」。

 女神を最後に振り向かせたのは、代打で十一回から出場した、その常盤の一振りだ。「真っすぐだけにヤマを張って、振り抜きました」。二死から敵失の走者を一塁に置いて、右中間席に本塁打を打ち込んだ。

 「自分が打てば決まっている場面があった。あそこは、どうしても、松坂を楽にしてやりたかった」。常盤が振り返る。

 「PL学園の強さは特別です。自分たちでなければ、勝つことはできなかったでしょう」。松坂は「自分たち」の「たち」に力を込めて、話した。

 「準決勝は、松坂を投げさせられない」。横浜・渡辺監督の言葉が本音であるかどうかは、分からない。

 「そうだとしても、僕たちには全員野球がありますから」。常盤が最後に言った一言に、横浜の本当の強さがひそんでいる。(西村欣也)

■ねじ伏せた、涙出ました 横浜・小山

 本塁打を含む5安打で3打点を挙げた横浜の主砲・小山は「みんなでひとつになれた。勝った時は、涙が出ました」と、感激した。捕手としては、二回にいきなり3点を失うなど反省点を挙げた。「松坂の調子はよかったが、僕の配球が相手に読まれていて打たれた。松坂に申し訳なかった」という。しかし、主将として、チームの集中力を途切れさせないように引っ張った。「選抜の時と違い、今度は力でPL学園をねじ伏せられました」と胸を張った。

■初の公式戦ではつらつ 救援バッテリー 上重投手、田中雅捕手

 PL学園の上重は、失投とは認めなかった。延長十七回二死一塁で喫した本塁打。「全力で投げたからいいんです」と宙をにらみながらいった。捕手田中雅の要求は外角低め。打たれた直球は真ん中高め……。春の選抜大会準決勝で救援して敗れた相手が横浜。雪辱に燃えた。精いっぱいやった、と自分を納得させなければ、やりきれなかったのだろう。

 八回、同点にされた直後の二死二塁。けがの石橋に代わって、公式戦初出場の田中雅がマスクをかぶった。「おいっ、やるしかないぞ」と二年生捕手の頭をポンとグラブでたたいた。腹をくくった救援バッテリーは一つのアウトを取ることにだけ集中した。

 「危険なコースをわざと要求もした。上重さんがズバリと投げてくれた」。田中雅も必死で頭を回転させる。延長十三回から、毎回得点圏に走者を進められながらしのぐ。十六回一死満塁、遊ゴロで勝ち越されても、すぐに追いつく。

 十七回の本塁打の直前に背負った走者は、遊撃手の失策によるもの。上重は、息が上がっていた。だが、同時に「マウンドにいるのが楽しくなっていた」という。エラーはすぐに忘れた。「束になって相手にかかっていくのが、うちの野球だから」

 11回、145球。先発のほぼ二倍を投げたリリーフ。「勝てなかったけれど、松坂との差は縮まったと思う」。最後まで悔やむそぶりはみせなかった。
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