甲子園の名監督「高嶋仁監督」

鬼の高嶋

「勝てないチームは指導者が悪いんです。何年も結果が出ないと悩む指導者は辞めた方がいい」
 甲子園で歴代最多タイの通算58勝を挙げている智弁和歌山の高嶋仁監督(63)はずばりと言った。09年12月12日、地元和歌山県紀の川市で行われた講演会。チームを「平成の横綱」と呼ばれるほどの強豪に育て上げた名将は「監督と選手の気持ちがひとつになってはじめてチームは殻を破ることができる。何年やっても選手の心をつかめない指導者は失格」と言い切った。
 では監督と選手の心はどうすればひとつになるのか。高嶋監督は「きっかけ」を逃さないことが大切という。
 前任の奈良・智弁学園では、高嶋監督は超スパルタの鬼監督と選手から恐れられ、あまりにも厳しい練習に耐えきれず、選手が練習をボイコットしたことがあった。直後の選手との対話集会で、高嶋監督は自身が高校時代、初めて甲子園に出場したときの感動と興奮を熱く語り「甲子園は素晴らしい場所だった。あの感動をみんなにも味わってほしい。そのためには練習して強いチームになる以外に道はないんだ」と選手を説得した。「甲子園」という殺し文句は選手の心を決定的に揺さぶり、選手は苦しい練習にも文句を言わず、ついていくようになったという。
 和歌山に移ってからも同様の「きっかけ」があった。
 1980年、智弁和歌山に転任。創部したばかりの野球部は、ほかのクラブからの寄せ集めや野球の経験がない選手も多かった。体力も技術もない。高嶋監督はショック療法を施した。奈良時代のつながりを使って各地の有力校と練習試合を組んだ。蔦文也監督(2001年77歳で死去)が率いたやまびこ打線の池田(徳島)には30点以上も取られて大敗。池田の選手は打撃練習のように打ちまくり、試合はいつまでたっても終わらない。智弁和歌山の選手たちは守備位置やベンチで途中から悔し泣きながら試合をしていたという。
 「まず悔しさを知る。そこからなにくそ、とはい上がるときの人間ほど強いものはない。高校野球の厳しさを知らなかった選手たちが、本気になった瞬間だった。これでなんとかなる、と思いましたね」
 1985年春に初めて甲子園に出場。その後常連と呼ばれる強豪になるまでそう時間はかからなかった。

 「結局弱いチームを強くするためには練習しかない」
 「練習は甲子園に出るため、ではなく甲子園で勝つためにやるもの」
 「高校野球は教育の一環ではない。勝負の厳しさを味わう場だ」
 高嶋語録が次々に飛び出す。
 智弁和歌山は、練習前に100mダッシュ100本、左翼と右翼のポール間ダッシュ100本。炎天下の連戦が続く夏の大会は、最後には体力勝負になるので「これくらいでへばる選手はいらない」と高嶋監督は平然と言ってのける。
 バットの素振りの量も半端ではない。
 打者のストライクゾーンは高低、内外角で9つに分割できる。それぞれ10スイングで90本。ここからがすごい。相手投手は右、左、変則投法と3タイプあるので、90×3で270本。球種は大別して速球と変化球があるので270本×2で540本。さらに得意コース100本、苦手コース100本を加えて合計740本。これが智弁和歌山では「最低ライン」になっている。
 「1年間、毎日やれば他校と大きな差になって成果が出る。そしてそれが選手のここぞ、というときの自信になるんです」
 講演には、会場に近い貴志川高の監督、部員もいて、メモを取りながら聞いていた。
 「どうぞまねしてください。まねされたら、うちはその2倍やって貴志川を倒します」
 鬼の高嶋、恐るべし。


甲子園での成績
智弁学園:出場3回・7勝3敗(春:出場2回・5勝2敗/夏:出場1回・2勝1敗)
智弁和歌山:出場29回・56勝26敗・優勝3回・準優勝3回(春:出場10回・21勝9敗・優勝1回・準優勝2回/夏:出場19回・35勝17敗・優勝2回・準優勝1回)
通算:出場32回・63勝29敗(勝利数は2011年夏現在、歴代1位)・優勝3回・準優勝3回
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