甲子園の名監督「中村順司監督」

万能型の名将

中村といえば甲子園20連勝の采配、強運と共に多くの一流選手を育てた技術指導の上手さが強調されがちであるが、時には大胆さも見せる万能型の指揮官でもあった。
それが遺憾なく発揮されたのが1983年夏選手権の大会で、PL学園は共に1年生のエースの桑田、4番清原を擁して勝ち進み、準決勝で徳島の池田高校と対戦する事となった。PLも1981年、1982年春と連覇した強豪ではあったが、池田は1982年夏、1983年春に夏春連覇したそれ以上の強豪であり、この夏優勝すれば史上初の夏春夏の3連覇がかかっていた。エースの水野雄仁は剛速球に加え、勝負どころではシュートで詰まらせるクレバーさも持ち合わせた超高校級の投手で、山びこ打線といわれた強力打線がこの大会で猛威を発揮しており、下馬評では圧倒的に池田有利だった。加えて桑田は準々決勝の高知商戦で打ち込まれており、水野自身も、著書で高知商には四国大会で圧勝してる為、準々決勝で当たった中京(現中京大中京高校)よりもPLの方が力は落ちると見ていたという。
この高校生離れした圧倒的な強さを誇る池田に対し、普通なら胸を借りるようなチャレンジャー精神で戦うチームが多いと思われる中、中村は「池田の選手とて高校生」とむしろ選手達には精神面での対等性を強調したという。そして引っ張る事が難しい水野の速球やシュートに対し、「流し打ちなどチャチな事考えるな。思い切って引っ張っていけ」と桑田に指示し、桑田は指示通り2回裏に水野の速球をレフトへ特大の先制2ランを放った。更にこの直後ラストバッターがソロで続き、7番打者もこの後一発も放って、山びこ打線のお株を奪うかのように水野から計3発7点をたたき出し(水野は3回戦の広島商戦で頭に死球を受けており、体調万全ではなかった。準々決勝中京戦では1失点完投しているがデッドボールを受けてちょうど3日目辺りだったため一番影響があったと見られる。)、桑田は投げる方でも池田の山びこ打線を何と完封してしまった。7-0のスコアは普通なら、下馬評通り池田が勝つと予想した時のスコアである。この中村の大胆な指示がなければ、水野に力負けして池田の圧勝だった可能性は高かったと思われる。
年月のたった現在の視点からは、この一戦は歴史上の強豪対決の一つとして語られる事が多く、大番狂わせとは見づらいが、この時の世論は池田が優勝するという見方が大勢であり、この池田の準決勝での敗戦は、一般ニュースでも取り上げられる程の話題でもあった。
選手育成に関しては、無理に型にはめることはせず、合理的な体の使い方を教えたり、野球人としての心構えを教えたりすることで高校卒業後も野球選手としてレベルアップしていくことを主眼に置いた指導をする。


甲子園での成績
春:出場10回・31勝7敗・優勝3回(1981年、1982年、1987年)、準優勝1回(1984年)
夏:出場6回・27勝3敗・優勝3回(1983年、1985年、1987年)、準優勝1回(1984年)
通算:出場16回・58勝10敗・優勝6回、準優勝2回
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