京都成章―横浜(98年決勝)

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京都成章―横浜/横浜はノーヒット・ノーランで春夏の連覇を達成、喜ぶ松坂大輔投手と小山良男捕手。右は三振で倒れた田中勇吾

京都成章(京都) 000 000 000|0

横浜(東神奈川) 000 110 01×|3

■横浜が春夏連覇 松坂投手、京都成章を無安打無得点

 第八十回全国高校野球選手権記念大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)の決勝が二十二日、阪神甲子園球場であり、横浜(東神奈川)が京都成章(京都)を3―0で破り、十八年ぶり二度目の優勝を飾った。横浜は史上最多の参加四千百二校の頂点に立ち、史上五校目の春夏連覇。松坂大輔投手は、決勝では第二十五回大会(1939年)、海草中(和歌山、現・向陽)の嶋清一投手以来史上二度目、八十回の歴史では二十二人目、二十三度目となる無安打無得点試合を達成した。

 球史に刻まれる122球の快投だった。松坂投手は3四球と振り逃げを許しただけで、三塁を踏ませなかった。速球、変化球ともにきれがあり、「大会屈指の剛腕」の呼び声通りの投球。五十九年ぶり、戦後初の快挙となる決勝でのノーヒット・ノーランに、五万五千人の観衆がわいた。

 横浜は、打線も力強かった。四回、一死から松本勉二塁手が左翼へ本塁打し、両校を通じて初の安打で1点を先制、均衡を破ると、五、八回と着実に加点。松坂投手を後押しした。

 準々決勝のPL学園(南大阪)戦では、松坂投手が延長十七回を投げ抜いた。「春夏連覇」と強気の目標を口にしてきたこのエースをチームみんなが支え、「全員の勝利です」と渡辺元智監督は話した。

 京都成章は、甲子園で最も成長したチーム。古岡基紀投手を中心に、無欲の戦いぶりで勝ち進んだ。京都勢としては第三十八回大会(五六年)の平安以来四十二年ぶり、五度目の優勝を狙ったが、昨年の平安に続き、準優勝に終わった。

 試合終了後、閉会式があり、大会委員長の牧野直隆・日本高校野球連盟会長が大会を講評。大会会長の松下宗之・朝日新聞社社長から横浜の小山良男主将に、深紅の大優勝旗が手渡された。開会式と同じく、閉会式の司会や両校の先導役などを高校生が担当した。

■横浜、劇的頂点 京都成章、完全燃焼

 無安打無得点試合達成の松坂に加え、狙い球を絞って相手を追い込む打線と手堅い守備。投攻守の総合力で、横浜が春夏連覇を成し遂げた。

 立ち上がりの松坂は、球が浮いていた。一回一死から四球。だが、三ゴロ併殺で切り抜けると、回を追うごとに球威を増す。鋭いスライダー、カーブも低めに決まった。内野陣も八回一死一塁で、二塁手の松本が一、二塁間の難しい打球に素早く反応するなど、随所に確実なグラブさばきを見せ、大記録を助けた。

 打線は四回、松本のソロ本塁打で先制。五回には一死二塁から佐藤がしぶとく右前安打。八回も斉藤清の中前適時打と、効果的に加点した。古岡得意のカーブをじっくり見極める。ボール球に手を出さず、ストライクを取りにくる直球を、各打者が徹底して狙った。

 京都成章の古岡も見事な投球だった。三日連投とあって切れは欠いたが、粘り強く内外角を投げ分けた。横浜打線の重圧に耐え、無駄な点を与えなかったのは立派だ。

 ただ、打線は外野への飛球が2本だけと、攻略の糸口を見つけられなかった。九回二死から田坪が四球を選び、最後まで食い下がったが、松坂にねじ伏せられた。(樋口太)

■「怪物」松坂、鉄壁を背に無安打無得点

 「ここまで来たんだから(無安打無得点試合を)やっちゃえよ」

 マウンドに集まった選手たちが、佐藤の言葉に反応した。「あーあ、言っちゃった」。松坂が笑顔でこたえ、一斉に笑いが起きる。八回。先頭打者を四球で出した直後のことだ。

 春夏連覇の偉業と、五十九年ぶりの大記録。期待感から、大観衆は異様な雰囲気になっていた。そんな中でも、決して冷静さを失わない。次打者のバントを好ダッシュで二封する。あと、アウト五つ。決勝の大舞台はもう、松坂一人のものになっていた。

 慎重な立ち上がり。球速で言えば直球も130キロ台。「変化球の制球が悪かった。それだけを修正しようと思った」。二回からカーブが決まり出す。直球も球速を増していく。中盤は圧巻だ。高めの直球、外角のスライダー。ボール球を次々と振らせた。

 全国の球児から目標とされた四カ月。松坂はいつも、黙々とマウンテンバイクをこいでいた。「もう一度優勝したい。だから、一からやり直すんです」

 このころ、渡辺監督は選手にこんな話をしている。

 「甲子園に魔物がいるとすれば、それは甲子園の器を知らないからだ。広さ、雰囲気を知る。そして、簡単にプレーをする。そうすれば、怖いものはない」

 延長十七回の激闘となった準々決勝、6点差を跳ね返した準決勝。奇跡の連続は、監督の話と無縁ではない。この日も、内野手が何度となく鋭い出足で難しいゴロをさばいた。不運な安打さえ許さない守りが大記録を後押しする。「史上最強のチーム? ええ、そういう評価をしたいと思います」。渡辺監督は言った。

 そして、その中心にいつも松坂がいた。九回二死。スライダーに田中のバットが空を切る。スコアボードを振り返る松坂。その背番号「1」を、瞬く間に仲間が包み込んでいった。

 「最高の投球ができました。でも、こみ上げてくるものはなかったですよ」

 ドラマ続きの大会――。“怪物”とその仲間たちは魔物をも手なずけ、最強のチームになった。
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広陵―佐賀北(07年決勝)

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広陵―佐賀北/8回裏佐賀北1死満塁、副島浩史は左越え満塁本塁打を放ち、逆転する。投手野村祐輔、捕手小林誠司
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優勝を決め、マウンドの久保貴大投手(中央)のもとに駆け寄る佐賀北の選手たち


広陵(広島)  020 000 200|4

佐賀北(佐賀) 000 000 05×|5

■佐賀北、初V

 第89回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)は22日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で決勝があり、7年ぶり2度目の出場の佐賀北が広陵(広島)を5―4で下し、初の全国制覇を遂げた。

 佐賀北は開幕試合で福井商に快勝して甲子園初勝利を挙げると、2回戦では宇治山田商(三重)との延長15回引き分け再試合を制した。3回戦で前橋商を下し、準々決勝は優勝候補の帝京(東東京)に延長サヨナラ勝ち。準決勝で長崎日大との九州対決を制した。決勝では、8回に副島が左翼席に飛び込む満塁本塁打を放ち5―4と逆転、深紅の大優勝旗を手にした。

 この試合の観衆は満員の5万人。15日間の総入場者数は77万人だった。

■「がばい、すごか」逆転満塁弾

 「ふつうの子」が大観衆を味方につけ、奇跡的な勝利を手にした。

 3点を追う8回1死満塁、佐賀北の打席には今大会2本塁打の3番・副島浩史三塁手。三塁側アルプス席が発する応援のリズムが、球場全体へ広がり、スタンドが揺れる。

 そのアルプス席近くの上空で、副島の打球が高い放物線を描く。地響きのような歓声が沸き起こった甲子園で、ダイヤモンドを副島が巡った。

 「狙っていた外角のスライダーが真ん中に来た。今日、唯一の失投だと思う。打った瞬間、手応えがありました」

 逆転満塁本塁打――。13年前、開幕試合に登場した佐賀商が、勝ち越し満塁本塁打で決勝を制した。同じ県から出場した県立校が、同じような軌跡で、頂点に立った。

 練習環境が恵まれているとは言えない。放課後の練習は午後7時30分までで、試験前1週間は部活動を休む。「野球に打ち込みたかったら勉強もがんばらないといけない」というのが百崎敏克監督の指導方針。どこにでもある県立校だ。

 そんな選手たちが8日の開幕試合で、同校の甲子園初勝利をあげる。一躍注目されたのは宇治山田商との2回戦。昨夏の決勝に続く延長15回引き分けという熱戦を繰り広げた。準々決勝の帝京戦では再び延長13回の熱戦を演じる。無失点を続ける久保貴大投手の2度にわたるグラブトスでのスクイズ阻止や、馬場崎俊也中堅手の背走キャッチ。強豪校と堂々と渡り合い、サヨナラ勝ちした。

 佐賀弁の「がばい」は「とても」という意味。「がばい、すごか(すごい)」。旋風を巻きおこした。

 「この子たち、こんなに上手だったかなあ」。百崎監督も驚くほどの成長ぶり、はつらつとしたプレーが高校野球ファンの心をつかみ、深紅の大優勝旗もつかんだ。全国の高校球児を勇気づける優勝だった。
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PL学園―桜美林(76年決勝)

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PL学園―桜美林/桜美林初優勝の瞬間。ナインたちは歓声をあげて松本投手を肩車した。そのそばをベンチに帰るPLの古沢一塁手が通り過ぎる



PL学園(大阪) 000 300 000 00|3

桜美林(西東京) 100 000 200 01|4

■はつらつ桜美林、無欲の快挙 三年連続、関東に大優勝旗

 深紅の大優勝旗は、初出場の桜美林が獲得し、六十年ぶりに東京へ舞い戻った――。第五十八回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)の最終日は、二十一日午後一時からPL学園(大阪)―桜美林(西東京)の決勝戦が五万六千人の大観衆を集めた阪神甲子園球場で行われ、桜美林が延長十一回サヨナラ勝ちし、初出場で全国制覇を達成した。

 初出場校が優勝したのは、第五十三回大会(四十六年)の桐蔭学園(神奈川)以来五年ぶり、大会史上通算十三度目。東京勢の優勝は、大正五年の第二回大会の慶応普通部(現慶応高)以来、実に六十年ぶり、通算二度目である。また銚子商、習志野(ともに千葉)に続いて、三年連続して関東勢が大優勝旗を持ち帰ったのは、大会史上初めてのこと。

 試合は桜美林が一回、1点を先取すると、PL学園が四回に水谷の二塁打などで3点をあげて逆転した。しかし、粘る桜美林は七回、安田の二塁打で3―3と追いつき、第五十一回大会の松山商―三沢戦以来、七年ぶり七度目の延長にもつれ込んだ。桜美林は十一回無死から本田が中前安打し、続く菊池の左越え二塁打で本田を迎え入れ、劇的な幕切れとなった。なお、決勝戦でのサヨナラ勝ちは、昨年の第五十七回大会の習志野―新居浜商に続き、通算六度目である。

 試合終了後、閉会式が行われ、優勝した桜美林の片桐幸宏主将に広岡大会会長から大優勝旗が手渡され、準優勝のPL学園には準優勝盾が贈られ、最後に両校ナインが場内を一周して式を終え、十三日間にわたる熱戦の幕を閉じた。

■死闘11回 逆転サヨナラ 粘りのPLも力つきる

 一戦一戦を無欲で戦った両校の決勝進出。この両チームの対決をだれが予想したろうか。よく似た両チームは最後の一戦、力をふりしぼって激突した。初陣桜美林の幸先よい先制も、四回PL学園が逆転、七回には桜美林が反撃して同点にするなど、決勝戦にふさわしい好試合となって延長戦となったが、初陣の桜美林は十一回、ついに菊池の殊勲打で、食い下がるPL学園を振り切った。

 桜美林一回の攻撃はすばらしかった。連投中村の立ち上がりを、一死、安田が右前安打して口火を切り、二死二塁のあと、片桐が三遊間を抜いて先取した。これに対しPL学園は上手からダイナミックな投球をみせる桜美林の主戦・松本に三回まで1安打に封じられていたが、四回、先頭の山本が右前に巧打、バントで二進、黒石の右中間安打で同点とし、続く水谷の左越え二塁打で黒石もかえり、さらに永田の二塁正面ゴロを野手が後逸する間に、水谷も本塁をつき3―1と逆転した。

 桜美林はこの2点差を追って、必死に中村に迫った。七回代打の菊池が左に二塁打、一死後、村田の二塁内野安打で一、三塁と中村を攻めつけ、安田が0―1から好スイングを見せて、左に二塁打、同点とした。

 七回の同点で元気の出た桜美林は八回、松本、小野寺が連安打しバントで二、三進。打者菊池1―2のときスクイズ。だが、PL学園のバッテリーはこれをうまくウエストして、松本を三本間できょう殺した。手堅くとどめの1点をとろうとする桜美林の作戦はうなずけないことはないが、七回に好打している菊池を思えば、強気に出てもと思われた。桜美林にとっては不運というほかない。

 さらに九回にも中田が無死で二塁打しながら、走者の判断悪く、せっかくの好機を失ってしまった。桜美林の攻撃に、ややあせりがあったのだろうが、これを冷静に食い止めたPL学園の好守をほめなくてはなるまい。

 PL学園は十回、四球、安打などで二死満塁とつめよったが、永田の二ゴロで絶好機を逃した。チャンスを逃し、ピンチを切り抜ける両チームの攻防は、波乱をはらみつつ回をさらに重ねるかと思われたが、十一回に桜美林は疲労の色濃い中村を攻めた。

 本田中前安打のあと、菊池は高めの球に鋭いスイングを見せた。打球は風に乗って左翼ラッキーゾーンの網に当たり、背走をつづけた左翼手は網に激突。一瞬球を見失う間に本田が決勝のホームを踏んだ。あっけない一打で決勝の幕は下りた。PL学園もよくやった。惜敗の悔いはあろうが、ここまで戦えば思い残すことはあるまい。

 桜美林には、これというスター選手はいなかったが、そのチームワークのよさが力となって栄冠をかちとったといえる。(好村)

■ワキ役菊池が殊勲打 桜美林の強攻策ピタリ

 三塁ベースを回った小柄な本田のメガネが、西日にキラッと光った。精いっぱいストライドをのばし、本塁ベースの四、五メートルも前から猛烈なヘッドスライディング。永野主審の右手が横に伸ばされ「セーフ」とコールされたとき、二塁ベースにまで達していた打者菊池が、バンザイをして突進し歓喜のかたまりの中に消えた。

 それはPL学園・中村投手が力を振りしぼって投じた一三八球目だった。十一回、本田の中前安打でつかんだ無死一塁。つづく菊池への初球に、桜美林ベンチはバントのサインを出した。が、外角へのボール。「PLのバントシフトが堅い。よし、思い切って打たせよう」。浜田監督の強攻策に切り替えたこの判断が、勝利への貴重な足がかりでもあった。

 二球目、内角高めへのストレート。菊池は七回初めて代打で登場したときも、内角速球を左越え二塁打を放っている。「ほんとうは外角を右へ流すのが得意。でも、七回にニガ手の内角球が打てたから、こんどもマトを内角にしぼっていた」。こん身の力でたたいた打球は、左翼へグングンのびた。

 「打球があがったときは捕れたと思った」と左翼手の羽瀬。が、このとき、中堅から左翼へ強い風が吹いていた。一、二度振り向きバックバック。羽瀬がフェンスに体をぶつけたとき、打球はその金網に当たっていた。羽瀬は転倒したため、はね返った打球が見えない。さがすスキに「最初から抜けると思って」好スタートを切った一塁走者の本田がダイヤモンドを疾走していた。

 菊池太陽、その名の通り真夏の甲子園にふさわしいラッキーボーイだった。「背番号7」をつけているものの、西東京大会から先発メンバーは一度もない。わずかに代打出場が三度。だが、それが2死球とバント安打と成功率十割である。この大会では市神港戦で守備に一度はいっただけだった。八番の正中堅手古本が12打数無安打と、あまりにも不振のために、身代わりとなった。

 といって菊池のこれまでの野球人生は、決して幸運につつまれてはいなかった。立川市のリトル・リーグで活躍し、桜美林に入学したときは将来の四番候補だった。しかし、二年生の冬に脊椎(せきつい)の分離症におかされた。「野球をやめろ」という医師もいた。断念しかかったが「レギュラーになれなくても志した道は最後まで歩もう。」

 チームにとどまった彼のポジションは一塁コーチだった。「きょうもベンチに座っているとき、背中がちょっと痛くなっていた。でも、いまは全然平気です」と深紅の大優勝旗のそばで笑った顔がさわやかだった。

 強引すぎる攻めもあった。投手松本も疲れで精彩を欠いていた。が、土壇場でワキ役が大殊勲を立てた桜美林の優勝。甲子園入りしたときに「ウチはいままでの東京らしい都会チームとは違います。スターもいないし、洗練されたプレーなんてなにひとつできない。十四人が、いや、一年生までの部員全員がやるべきことを、確実にやってきただけのチームです」と話した佐藤部長の言葉にふさわしいフィナーレだった。
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